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忍び難きをよく忍び行じ難きをよく行じて 国家の再建に尽くしていただきたい かつて山本玄峰という禅僧がいました。 若い頃に目が不自由になるなど様々な辛酸をなめながらも、 説法などを通して多くの人たちの心に光を灯し続けた名僧です。 その玄峰老師の平和に対する思いは、 昭和天皇の「終戦の詔勅」にも影響を与えたとされます。 法統を嗣ぐ三島・龍澤寺の後藤榮山老師のお話 (後藤) 玄峰老師の仏教者としての足跡で、 どうしても書き留めておかなくてはいけないことがあります。 大東亜戦争末期の1945年4月、 時の総理・鈴木貫太郎は日本がポツダム宣言を受諾するか否か、 その判断に大変苦しんでいました。 私も子供ながらに当時のことは鮮明に記憶していますが、 戦争の早期終結を求める声がある一方、 阿南惟幾陸軍大臣を中心に 本土での一億総決戦を強く主張する人たちも多くいました。 悩んだ挙げ句、鈴木総理は玄峰老師のもとに使者を遣わされます。 この使者を迎えた玄峰老師は次のようにお答えになるのです。 「日本は相撲でいうならば大関。負ける時は大関は大関らしく、 堂々と負けねばなりません。負けて勝つことを考えるべきです。 何卒、鈴木貫太郎総理、健康にご注意なされ、 どうか忍び難きをよく忍び、行じ難きをよく行じて 国家の再建に尽くしていただきたい」 ほどなくして「終戦の詔勅」が発せられた折、 「耐ヘ難キヲ耐ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ 以テ万世ノ為ニ太平ヲ開カムト欲ス」と、 天皇陛下のお言葉に玄峰老師の言葉が引用されたことは、 まさに特筆すべき出来事でした。 |
2021.04.17 |
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