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      次代に輝く住まいを創る

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一語履歴WORD vol.421

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成功や失敗は...~目標...
低迷していた花巻高等学校球部を
甲子園の常連校へと育て上げ、
大谷翔平選手や菊池雄星選手など
メジャーで活躍する一流選手育てた
佐々木洋さん。

岩手の田舎に育ちましたから、
遊びも野球くらいしかなくて、
周りに導かれるように自然に始めました。

甲子園に出場してプロか社会人で
活躍したいと思っていましたが、
結局選手として花を咲かせることはできなくて、
大学の時に練習が嫌になって寮を出されました。

初めての一人暮らしに
最初は心を躍らせていたんですが、
家具を揃え、テレビのスイッチを入れた途端、
急に虚しくなったんです。

悩んだ挙げ句に、それまで活字を見るのも
嫌だったんですが、答えを求めて
初めて本屋に行きましてね。

そこで目に留まったのが
ナポレオン・ヒルの『思考は現実化する』
という本でした。

そんなわけないだろうと思いながら
手に取ったんですが(笑)、
ページをめくるうちに、
自分はそれまで大切なことを
教わっていなかったことを痛感したんです。

それまで「夢を持て」「目標を持て」と
散々言われてきたんですが、
ではどうやって夢や目標を立てたら
よいのかということについては、
何も教わっていなかったんです。

類書を片っ端から読んだら
書かれていることは同じで、

数値で具体的に表すこと、
期限を決めること、
ワクワクする内容であること、
紙に書き出すこと

などが大事だと分かってきました。

それで、野球選手としては
ダメだったけれども指導者として
成功したいと思って、
「二十八歳で最年少監督として甲子園に出る」
と書いたんです。

そうしたらいろんな巡り合わせの中で
花巻東の監督に就任することができて、
本当に二十八歳で甲子園に出場することができたんです。

ですから生徒にも、夢は必ず叶うと
ハッキリ言うんです。
具体的に立てて具体的に行動していけば、
必ず夢に近づくんだと。

大谷翔平が入部してきた時は、
「先輩の雄星さんみたいになりたい」
と言っていました。

私は、夢というのは掲げたところより
少し下で実現するような感覚があるので、

「それでは菊池以下になってしまう。
菊池を越えると言え」

と指導しました。

当時、菊池の投げる球は
百五十五キロくらい出ていましたから、
絶対に百六十キロ出せると暗示をかけましてね。

ただ、実際に目標を書く時に、
百六十キロと書いたら
百五十八キロになってしまうと
心配していたのですが、
大谷はもう目標の立て方を心得てくれていて、
百六十三キロと書いてありました。

菊池も大谷も、入部してきた時から
間違いなくプロに行ける選手でした。
そんな逸材が名もない私の所へ
来てくれたわけですから、
私も生半可な指導をするわけにはいきません。
自分自身にプレッシャーをかけるために、
ドラフト一位で送り出せなければ
監督を辞めると宣言したんです。

それを確実にするために、
その上のメジャーへ送り出すという
目標を掲げて二人と共有していました。

不思議なことに、その夢もどんどん近づいて、
いまでは二人とも海を渡っています。
彼らはたまたま海を渡ったのではなくて、
高校の時に自ら思い描き、
自らの脚で海を渡ったと思うんです。
2019/11/16
日本の資本主義の父として、
いまなお多くの人々の生きる指針となっている渋沢栄一。

(守屋) 
渋沢の残した言葉には、
いまの時代に通じるものが他にも数多くあります。
例えば『論語と算盤』の次の言葉です。

「成功や失敗のごときは、
ただ丹精した人の身に残る糟粕のようなものである」

渋沢はここで成功や失敗は滓みたいなもので、
それまでの努力こそが大事だと言っているわけです。
渋沢は成功したからこんなことが言えるんだと思う人がいますが、
渋沢は逆境を生きた人なんですね。

数々の逆境、試練を跳ね返して生きてきた人が
残している言葉だと思えば、味わい深いのではないでしょうか。

また、そういう渋沢の生き方は、

「わたしのような老人は、
こういう時にいささかなりと働いてこそ、
生きている申し訳がたつようなものだ」

という言葉にも現れていると思います。

これは関東大震災で被災した83歳の時の言葉です。
渋沢は日本橋にある事務所で被災して
飛鳥山の自宅に逃げるのですが、
家族から「安全な深谷に逃げましょうか」
と聞かれた時に、この言葉を口にするわけです。

そして東京に留まり、被災者の収容施設や臨時病院の確保、
海外の友人に連絡を取って義援金を送ってもらうなど
様々な救援活動に奔走するんです。
2019/11/16

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