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      次代に輝く住まいを創る

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一語履歴WORD vol.112

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一語履歴 vol.120
不可能を... 120a言葉の使い方... 120b言葉の前に... 120c刻苦光明...
一語履歴 vol.119
逆境力... 119a死生観... 119b非行に... 119c堕落したチーム...
一語履歴 vol.118
発想は... 118a最高の状態... 118b勝敗の分かれ目... 118c靴づくり...
一語履歴 vol.117
くまモン... 117a心の声を... 117b命のつながり 117c当たり前の上に...
一語履歴 vol.116
指導者は... 116a法遠去らず 116b営業という... 116c学校を変える
一語履歴 vol.115
真善美 115a昔ながらの... 115b感謝を... 115c自分で線を...
一語履歴 vol.114
すべての現象... 114aおなごが... 114b帰りがけ... 114cすべては”人材”...
一語履歴 vol.113
固定観念に 113aリーダーは... 113b意識が... 113c対象と一体に...
一語履歴 vol.112
誰にも... 112aやまとごころ... 112bしつけの... 112c伝統は...
一語履歴 vol.111
すぐやる... 111a抜くを... 111b自分以外に...
誰にも負けない働き人になる
          上神田梅雄(新宿調理師専門学校校長)

料理道一筋40年、これまで幾多の日本料理店の
総料理長を歴任してきた上神田梅雄氏。
現在、新宿調理師専門学校校長として、
未来の一流料理人を養成すべく、人間教育に力を注いでいます。
    
鍵山 上神田先生はどういうきっかけで
   料理の道に進まれたのですか?

上神田 私は地元の高校を150人中150番の成績で
    卒業しました(笑)。

その後は、長兄からの助言もあり、
60歳近くなる両親を支えるため、
家業を手伝っていました。

18歳から20歳までの
3年足らずの間のことです。

自分なりに頑張ってはいても、心のどこかに
「俺は、親の家業を手伝ってやってる」という
恩着せがましい気持ちがありました。

これではいけない、他人のせいにしたり、
言い訳めいた生き方ではなくて、
自己責任の心構えの人生を歩まないといけない。

そう思い、単身上京することに決めました。

そして学歴がなくても可能な職業を探していた時に、
調理師学校があることを知ったんです。

鍵山 数ある学校の中から
   新宿調理師専門学校を選ばれたのは?

上神田 特待生制度があったからです。

これは特別に厳しい待遇のことで、
昼間は授業を行う先生の助手を務め、
夜間は生徒として授業を受ける。

自分を変えるにはここだなと思って入学しました。

福沢諭吉は適塾に入門する時、
布団を持たずにやってきたという逸話がありますよね。

「どうして布団を持ってこないんだ」って聞かれて
「いや、寝ないですから」と答えたと。

その気概たるや、すごいじゃないですか。

鍵山 昼夜の区別なく勉強をし、
   眠くなれば机に突っ伏して寝る生活だった
   と言われていますね。

上神田 そのレベルには遙かに及びませんが、
    私も「誰にも負けない働き人になる」
    という誓いを胸に秘め、
    頭髪を剃って特待生として
    卒業までの547日間を過ごしました。

「負けてたまるか」
「必ず一流と評されるようになってやる」

と、挫けそうになる弱い自分の心を鼓舞しながら。

朝は誰よりも早く学校に来て勉強し、
休みの日もバケツ洗いや掃除をする。

ところが、他の先輩特待生たちには
目障りだったんでしょうね。

ある日、先輩たちに呼び出されて、

「おまえだけいい格好するなよ。
 俺たちはいつも『上神田君を見習いなさい』って
 説教されて面白くねえ」と言うんです。

真剣に、命懸けで取り組む私には
怯む理由がありません。

「言い分はそれだけか。
 あんたら、俺の将来を面倒見てくれるのか?」

って聞いたら

「何でおまえの面倒を見なきゃいけないんだ。
 ふざけんなよ」と。

「それだったら俺の生き方に
 余計な口出しすんなよ」

って怖さに震える思いもありながら、
精いっぱいの啖呵を切って、自分の住む寮に戻りました。

鍵山 その時既に覚悟が定まって
   いらっしゃったのですね。

上神田 私にとっては、学校での特待生生活そのものが
    修業の第一歩だと思っていましたから。

卒業後は、外来講師として来てくださっていた
西宮利晃師匠の下に弟子入りしました。

師匠は一流ホテルや有名割烹店の
調理顧問を務められており、
私より36歳上でしたが、
眼光鋭く、溌剌としたオーラがあって、
白衣を着て料理に向かう時には凄まじい気迫を感じる。

初めてその姿を見た瞬間、
この人を追いかけようと決意したんです。

そういう憧れの人と出会えたことは、
非常に幸運だったと思っています。
 
2014.09.18

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