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      次代に輝く住まいを創る

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一語履歴WORD vol.111b

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一語履歴 vol.120
不可能を... 120a言葉の使い方... 120b言葉の前に... 120c刻苦光明...
一語履歴 vol.119
逆境力... 119a死生観... 119b非行に... 119c堕落したチーム...
一語履歴 vol.118
発想は... 118a最高の状態... 118b勝敗の分かれ目... 118c靴づくり...
一語履歴 vol.117
くまモン... 117a心の声を... 117b命のつながり 117c当たり前の上に...
一語履歴 vol.116
指導者は... 116a法遠去らず 116b営業という... 116c学校を変える
一語履歴 vol.115
真善美 115a昔ながらの... 115b感謝を... 115c自分で線を...
一語履歴 vol.114
すべての現象... 114aおなごが... 114b帰りがけ... 114cすべては”人材”...
一語履歴 vol.113
固定観念に 113aリーダーは... 113b意識が... 113c対象と一体に...
一語履歴 vol.112
誰にも... 112aやまとごころ... 112bしつけの... 112c伝統は...
一語履歴 vol.111
すぐやる... 111a抜くを... 111b自分以外に...
自分以外に守るべきものを持った人間は強い
               鍵山秀三郎(日本を美しくする会相談役)

カー用品メーカーのイエローハットを一代で築き上げた創業者・鍵山秀三郎氏。
掃除を実践することによって、 社員が変わり、会社が変わり、
業界をも変革させてきました。
たった一人で始まった鍵山氏の掃除道は、いま全国各地、そして世界へと広がりを見せ、
NPO法人日本を美しくする会は 120か所以上に及んでいます。

鍵山 私は戦時中の昭和20年に
   岐阜県へ疎開しました。

戦前、父はお金に相当余裕があったものですから、
人に頼まれては山や田んぼを買っていたんですね。

で、疎開してきた時に
慣れない百姓仕事を始めたわけです。

ところが、隣の人が本当はうちのほうにも
水をよこすようになっているはずなのに、
自分のところで塞き止めて、
どんどん川下へ流しちゃうんですね。

上神田 ああ、意地悪を。

鍵山 しょうがないから私は毎日のように
   遙か坂の下から川の水を桶に汲んで、
   担いで上がりました。

子供が肩で担ぐ程度の水が
全く用を成さないことは知っていながら、
それでも一所懸命励んだわけです。

後になって気づいたことですが、
そこで私が掴んだものは何かというと、
「大きな努力で小さな成果」ということですね。

それに耐えられる精神力ですよ。

あの隣の人が意地悪をしたが故に、
掛け替えのないものを体得することができたんですね。

これは私にとって必要な一つの儀式だったと思っています。

上神田 なるほど、儀式ですか。

鍵山 よく自我を捨てろって言いますよね。

そのために坐禅をやったりしますが、
3年やったからといって、
なかなか捨てられるものじゃありません。

ところが、ありがたいことに、私の場合は
人に冷遇されるという洗礼を受けたことによって、
つまらないプライドを捨てることができたんですね。

それを持ち続けていると、
いつも不満ばかり言います。

ところが、一度つまらないプライドを捨てて、
目の前の対象に無心で打ち込んでいくと、
全く別の新たなプライドが生み出される。

すると、以前と同じ境遇にあっても、
不満は消えていくものなんですね。

私が社会に出て、唯一人掃除に励んでいた時、
周りから嘲笑されても何を言われても、
続けることができたのは
つまらないプライドを捨てていたからに他なりません。

上神田 せっかくの機会ですから、
    鍵山先生がどんな儀式を通過されてきたのか、
    ぜひ教えてください。

鍵山 私が昭和27年に岐阜県の高校を卒業して、
   東京に戻ってきた時には、本当に職がなかったんですね。

あったのは牛乳配達と新聞配達くらい。

そんな中、求人欄に一つだけ
カー用品の会社がありまして、そこに入社しました。

当時の自動車業界というのはだらしがない、
モラルや秩序なんか全くない、
汚い、態度は粗暴粗野。

そういう世界でいいところは一つもないですよ。

でも、私が入った以上は、
絶対にこの職場をよくしてみせると。

これが最初に抱いた私の信念です。

それがやがて業界の悪しき習慣を
なくそうというふうに変わりました。

勤務していた会社では
大変よい待遇を受けていましたから、
それだけを考えれば辞める必要はなかったんですね。

でも、いつまでもここにいたのではダメだ、
私の志を達成することはできない。

だとしたら、自分でやるよりしょうがないということで、
昭和30年にローヤル(現・イエローハット)を創業したんです。
それは至難の道でした。

上神田 特に忘れがたい試練というのはどんなことでしたか?

鍵山 例えばその当時、タイヤチェーンは
   雪が降ると10倍、積もると20倍の値段です。

そういう商売を平気でやっていたんですね。
業界の習慣になっている。

こんなバカなことはないということで、
私が正価で販売すると、
もう同業者から散々な妨害を受けました。

お店にあったタイヤチェーンを
同業者が全部買い漁ってしまって、
いらなくなってから返しにくるとか、

あるいは方々のメーカーに
「鍵山にものを売ったら、
 うちはもう取引をしない」
と根回しされるとかですね。

まあ、それこそ苦悩から始まって、
絶望に行きそうなことがたくさんあったわけです。

この時の体験を後から考えてみると、
人間は守るものをしっかり持つと強くなれるのだと思います。

ただ、ほとんどの人が自分の立場や地位を
守るほうに回ってしまうんですね。

西郷隆盛もこういう言葉を残しています。
「己を愛するは善からぬことの第一なり」と。

ですから、自分以外に守るべきものを持つこと、
これだと思います。

私は会社がある程度の規模になった時に、
今度は社会全体の荒みをなくそうということで、
経営の第一線から退き、日本を美しくする会を立ち上げました。
 
特に学校が汚い。
こんな状態ではいい教育ができない。

そう思って、いまは学校現場に
掃除をどんどん広めています。

上神田 学校の掃除を始めてどのくらいになりますか

鍵山 21年ですね。

これまで私が行っただけでも
680校を超えています。
 
2014.09.17

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