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      次代に輝く住まいを創る

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一語履歴WORD vol.450

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一語履歴 vol.450
二十代をどう生きるか 450aあの時の苦しさ 450b人生に絶望なし
一語履歴 vol.449
市井の剣道
一語履歴 vol.448
乃木希典 448a安岡正篤先生の言葉
一語履歴 vol.447
観相学 447a品質本位お客様本位
一語履歴 vol.446
本心をありのままに 446a正々堂々 446b成功さえも“試練”である
一語履歴 vol.445
美点凝視 445a意志あるところ道はひらく 445b強いチームには
一語履歴 vol.444
自ら学び... 444a雨の日には雨の中を... 444b嬉しい、楽しい...
一語履歴 vol.443
か・き・く・け・こ 443a正射必中 443b病気を予防する...
一語履歴 vol.442
生き様は選べる 442a自分の最高価値観に 442b人間は自分が思うほど
一語履歴 vol.441
捨てて捨てて捨てる  441a幾世代にわたる 441b平成駆け込み寺
二十代をどう生きるか

日本のスイーツ界を牽引し続ける辻口博啓さん。

パティシエを志したのは、小学生3年生。
友人の誕生日会で初めて食べた
ショートケーキに感動したのが
出発点だったということです。

実家は石川県で祖父が創業した
和菓子屋「紅屋」を営んでいましたが、
高校卒業後はパティシエになるべく上京し、
住み込みで働ける洋菓子店で修業をスタートさせたのです。

ところが、2か月も経たないうちに
至急実家に戻るよう母から連絡が入り、
父の失踪と紅屋の倒産を告げられました。

実は私が中学生の頃から、
父は知人の肩代わりで莫大な借金を抱えており、
プレッシャーに苛まれていました。そうして遂に、
家族を残して蒸発してしまったのです。

当然、店舗と一体だった自宅は手放すことになり、
母が一人矢面に立ち会社の整理にあたりました。

母から「浮き沈みのあるパティシエよりも、
安定したサラリーマンになってほしい」と懇願され、
県内の大手蒲鉾メーカーへ入社の手はずを整えてくれていました。

当時、菓子店での初任給が4万5千円だったのに対して、
蒲鉾メーカーは12万円。2週間ほど悩んだ末に、
いまここで蒲鉾メーカーに就職したら、
何か躓いた時に一生母を恨むことになるだろう。

自分の人生は自分で決めるべきだ。

そう思い、「3年で一人前になる」と覚悟を決めて、
再び故郷を発ったのでした。

当時弟と妹はまだ中高生だったため、
母は3つの仕事を掛け持ちしながら、
必死に育ててくれました。

その母を安心させたい一心で、
私は修業に打ち込んでいました。

後年聞いた話ですが、母は過労ゆえに
救急車で3~4回運ばれ、精神的にも
苦しめられて自殺が脳裏を
よぎったこともあったそうです。

しかし心配させたくないという親心から、
私には知らされませんでした。五年ほど前、
弟から聞かされてようやく知った次第です。

公私の別なく仕事に没頭する私に、
よく「なぜそんなにモチベーションが続くのか?」
と問う人がいましたが、その根底にあったのは
母親への敬愛の念に他なりません。

母の努力を思うと、
横道に逸れている時間はなかったのです。

2020.02.27

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