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二十代をどう生きるか 日本のスイーツ界を牽引し続ける辻口博啓さん。 パティシエを志したのは、小学生3年生。 友人の誕生日会で初めて食べた ショートケーキに感動したのが 出発点だったということです。 実家は石川県で祖父が創業した 和菓子屋「紅屋」を営んでいましたが、 高校卒業後はパティシエになるべく上京し、 住み込みで働ける洋菓子店で修業をスタートさせたのです。 ところが、2か月も経たないうちに 至急実家に戻るよう母から連絡が入り、 父の失踪と紅屋の倒産を告げられました。 実は私が中学生の頃から、 父は知人の肩代わりで莫大な借金を抱えており、 プレッシャーに苛まれていました。そうして遂に、 家族を残して蒸発してしまったのです。 当然、店舗と一体だった自宅は手放すことになり、 母が一人矢面に立ち会社の整理にあたりました。 母から「浮き沈みのあるパティシエよりも、 安定したサラリーマンになってほしい」と懇願され、 県内の大手蒲鉾メーカーへ入社の手はずを整えてくれていました。 当時、菓子店での初任給が4万5千円だったのに対して、 蒲鉾メーカーは12万円。2週間ほど悩んだ末に、 いまここで蒲鉾メーカーに就職したら、 何か躓いた時に一生母を恨むことになるだろう。 自分の人生は自分で決めるべきだ。 そう思い、「3年で一人前になる」と覚悟を決めて、 再び故郷を発ったのでした。 当時弟と妹はまだ中高生だったため、 母は3つの仕事を掛け持ちしながら、 必死に育ててくれました。 その母を安心させたい一心で、 私は修業に打ち込んでいました。 後年聞いた話ですが、母は過労ゆえに 救急車で3~4回運ばれ、精神的にも 苦しめられて自殺が脳裏を よぎったこともあったそうです。 しかし心配させたくないという親心から、 私には知らされませんでした。五年ほど前、 弟から聞かされてようやく知った次第です。 公私の別なく仕事に没頭する私に、 よく「なぜそんなにモチベーションが続くのか?」 と問う人がいましたが、その根底にあったのは 母親への敬愛の念に他なりません。 母の努力を思うと、 横道に逸れている時間はなかったのです。 |
2020.02.27 |
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