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      次代に輝く住まいを創る

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一語履歴WORD vol.417

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一語履歴 vol.420
自主性を引き出すオリジナル手帳 420a発明や発見の前にはある時期
一語履歴 vol.419
同じように演奏しないでくれ 419a松下幸之助氏が入社式で語ったこと
一語履歴 vol.418
仏教詩人 坂村真民の詩
一語履歴 vol.417
認知症の母が教えてくれたこと
一語履歴 vol.416
命とは君たちが持っている時間である
一語履歴 vol.415
自分が創造的だと思っていた社員 415a仕事の原点は〝とことん惚れ込む
一語履歴 vol.414
フラットなリーダーシップ 414a真理に近付いていく
一語履歴 vol.413
「迷ったら茨の道をいけ」に「笑顔」を加え
一語履歴 vol.412
愛され受け入れられているという安心感 412aシーズもニーズも日々変化
一語履歴 vol.411
いまの自分の実力を知りその実力に合った目標を設定できる
認知症の母が教えてくれたこと
            藤川幸之助(詩人)

熊本の湯前町にいる父から
「お母さんがアルツハイマー型認知症になった。
帰ってきてほしい」との知らせが入ったのは。
一九八八年、母が六十歳、私が二十六歳の時のことです。

平戸から湯前町まで車で五時間ほどかかりますが、
その道すがら考えていたのは、

「熊本に戻って認知症のお母さんの介護をやれと
 言われるんじゃないか。たまったもんじゃない」

ということでした。

当時の私は、両親と旅行に行ったこともなければ
母の誕生日も覚えていない、親不孝な息子でした。

ところが、父は開口一番、実家に帰ってきた兄と
私にこう言ったのです。

「お母さんの世話は俺が全部やっていくからな。
 おまえたちは何もしなくていい。
 俺が最後にお母さんを幸せにしようと思う」。

ああ、母の介護を頼まれなくてよかった――

正直、ほっとしました。
ただ父も心臓が悪く手術をしたばかりでしたから、
心配になった私は、後日様子を見かたがた
二人を花見に連れて行きました。

車を走らせていると、父が弁当屋さんを指差し、

「幸之助、あの弁当屋さんに小さなテーブルがあるだろう。
 お母さんが認知症で料理がつくれなくなってきたから、
 毎日二人であの小さなテーブルに並んで
 弁当を食べているんだ」

と言います。その言葉を聞いて、
私は胸が潰れる思いになりました。

それから父と母の様子を見に少しずつ
熊本に帰るようになったのですが、
母はその度に

「幸之助にカレーライスをつくらんといかんね」

と用意を始めるのです。

小学校・中学校に入学した日も卒業した日も、
教員採用試験に合格して帰った日も、
記念日にいつも母がつくってくれたのが
カレーライスでした。

それは母なりの愛情の一つの表し方だったのでしょう。

父は私に言いました。

「幸之助は本当に幸せ者だなぁ。
 おまえが帰ってくると、
 お母さんはニンジンを右手に、
 ジャガイモを左手に持って台所をうろうろし始める。

 でも認知症でつくり方を忘れてしまったから、
 最後はしゃがみこんでわーっと泣き始めるんよ。
 認知症は何でも忘れてしまう病気だと言われているけど、
 お母さんはおまえの好物のカレーライスは覚えているぞ。
 息子を愛する心は、まだお母さんの心の中に生きとるぞ」。

その言葉を聞いた時、たとえ認知症でも、
消し去ることができないものがあることを
教えられた気がしました。

この頃の体験を綴ったのが『約束』という詩です。

今度帰るときには

ライスカレーを作っておくからと嬉しそうに母は約束した

久しぶりに実家に帰ってみると

約束通りライスカレーが

テーブルの上に置いてあった

食べると母の味つけではない

レトルトのカレーとハンバーグを

皿に盛りつけただけのものだと

すぐに分かった

「お母さんのカレーはうまか」

大げさに父は言っている

「母さんこれレトルトだろ?」

私は不機嫌に言った

「二つとも時間をかけて作ったんよ」

母は言い張った

「違うよ これは母さんのカレーじゃないよ」

「お母さんのカレーはうまか」

母の方を向いて大声でまた父が言ったので

私も意地になって言い返そうとしたとき

「お母さんのカレーはうまか」

父が私をにらみつけて言った

母が風呂に入って

父と二人っきりになった

料理の作り方を忘れてしまって

自分から作ろうとしない母の話を聞いた

母が私とのライスカレーの約束の話を

父に何度も何度も話すのだそうだ

母に代わって私のためにレトルトのカレーを

父が用意してくれていた

「父さんにしては盛りつけが上手」

私は父にお世辞を言った

父は嬉しそうに笑った

2019/11/02
妊娠をしながらの乳がん治療。
苦難の道のりを迷うことなく突き進んだ清水奈緒さんは、
息子を出産した112日後に29歳の若さで天国に旅立たれました。

奈緒さんの夫で元読売テレビキャスターの清水健さんは現在、
がん撲滅のための講演活動などに注力しています。

(清水) 
あるお母さんと中学生の娘さんが2人で聞きに来られました。
そのお母さんが講演中に、ものすごく涙を流されているんです。

聞けば、ご自身がいままさに乳がんと闘っていて、
娘さんの前では一度も泣いたことがなかったのに、
その時初めて泣いてしまったと。
後日その娘さんから手紙が届きました。

「お母さんの涙を見ることができてよかった。
私のことをこんなに思ってくれていたんだと知ることができました。
お母さんと一緒に、これからも闘っていきます」

(―感動溢れるお話ですね。)

(清水) 
講演を重ねる中で、皆、
泣きたい思いや弱音を必死で堪えているのだと気づかされました。
親しい間柄だからこそ弱さを見せられないことってあるのかもしれません。

第三者である僕の講演会だからこそ、
周囲を気にせず涙を流したり、気持ちを吐き出すことができる。
そう思った時、こうした涙を流せる場があって
ほしいと思うようになりました。
妻の闘病中、僕には涙を流すことができなかった。
だったら、いま僕がマイクを持たせてもらい、場をつくろうと。

(―様々な事情を抱えた方の感情を受け止めるというのは、
とてもエネルギーが要りますよね。)

(清水) 
ここまで自分の心をいじめていいのかなとも思います。
ただ、僕がすべてを受け止められているとは考えていません。
それでも、苦悩を抱える方々に寄り添い、
「あなたは一人じゃないよ」とだけでも伝えられたらと思っています。
2019/11/02

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