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「迷ったら茨の道をいけ」に「笑顔」を加え 佐田展隆(佐田社長) 現在、オーダースーツチェーンとして日本一の店舗数を誇るSADA。 1923年創業の歴史を背負う四代目社長・佐田展隆氏はいま、 業界の風雲児として注目を浴びていますが、 その経営者としての歩みは波乱万丈そのものでした。 「若者向けオーダースーツ店舗数日本一」 今年で創業93年を迎える我が社は、国内外に35の直販店を展開し、 年間12万着に及ぶオーダースーツの生地企画から縫製、販売に至るまで 一貫して手掛けています。 また、東京ヤクルトスワローズ、柏レイソル、INAC神戸など、 12のプロスポーツチームの公式スーツにも採用。 若者の間で「高い、難しい、年配向け」というイメージが浸透する中、 より多くのお客様にオーダースーツの着心地と楽しさを気軽に味わってもらいたい。 そういう思いで、四代目社長として日々経営にあたっています。 ところが、かつて我が社は2度も倒産の危機に直面したのでした。 まだ私が入社する前、父の時代にバブル崩壊によって大手百貨店が相次いで倒産。 その煽りを受けた我が社も多額の借金を抱え、リストラを繰り返すようになりました。 そこで父が考えた起死回生の策は、国内にある3工場のうち2つを閉鎖し、 人件費の安い北京工場を拡大させるというもの。 既存の借入金の返済すらままならないのに、 何と父は金融機関を説得し、追加の融資を得ています。 その担保として後継者の入社が義務づけられ、長男である私に白羽の矢が立ったのです。2003年12月、29歳の時でした。 大手化学メーカーで営業畑を歩んでいた経験から、 入社後は営業の現場を預かりましたが、そこで私は愕然としました。 凄まじい債務超過に加え、トップである父の意向が現場に全く通じていないのです。 これが経営不振の原因だと直感し、まず社員の意識改革に着手。 20名の営業マンと毎週面談し、「現状維持は衰退の道」 「環境に適応して変化し続ける者だけが生き残る」としきりに語り、 利益度外視の御用聞き営業から新規開拓営業へと変革を求めました。 年上の人に対しても容赦なく辛辣な言葉を浴びせ、 父の右腕だった営業本部長に至っては、危機意識が薄かったため、 やむを得ずその権限を返上してもらいました。 きっと生意気に映ったでしょう。 しかし、あの時はとにかく会社を守るために必死でした。 中には反発して辞める人もいましたが、一方で共感してくれた若手を抜擢することで、 社内のベクトルが一つに揃っていきました。 そして、社長就任から1年を待たずして、2005年に黒字転換を成し遂げたのです。 まさかの退社、そして復帰劇 しかし、これで苦境を脱したわけではありません。 せっかく稼いだ1億円の営業利益は、金利の支払いに消えていく。 キャッシュに余裕はほとんどありませんでした。 にもかかわらず、黒字に転じた途端、 それまで支払猶予を認めてくれていた取引先や金融機関が待っていたとばかりに、 負債の取り立てを始めたのです。 何度も仕入れを止められたり、倒産の噂を流されたりしました。 このまま続けても誰にも報いられない。 そう感じた私は社員や会社を守るため、断腸の思いで私的再生を受ける決断をしました 。金融機関による査定を受け、父の自己破産と引き換えに九割の債権を放棄。 あるファンドが経営を担うことになり、 私は経営コンサルタントに転身することになりました。 ちょうど次の転職先を探していた2011年のこと。 突然、「社長に復帰してほしい」と持ち掛けられたのです。 リーマン・ショックでファンドが倒産し、 後を受けた会社も東日本大震災の影響で弊社を見限ってのことでした。 当時の会社の状況は悲惨で、調べれば調べるほど再建は無理だろうという思いが募っていく。 家族を含め、相談した全員から反対されました。 しかし驚いたことに、現場の社員たちが目の輝きを失っていないではありませんか。 私の復帰の噂を聞きつけ、 「待ってました」 「いよいよですね」 と言ってくれました。中には、 「絶対帰ってきてくれると信じていました」 と涙を流すベテラン社員もいました。 彼らの期待を絶対に裏切れないという強い思いが私を奮い立たせ、 残りの人生を会社再興に懸けることを決意。 復帰後すぐに、直販事業を中心とした改革を開始しました。 3か月後には巻き返しを業界に宣言する意味も込め、 乗降者数世界一の新宿駅付近に出店したのです。 店舗の立地には十分な戦略を練りました。 大手スーツ量販店が長く出店している場所は需要があるに違いない。 そこで既製品に不満を抱いているお客様を我われは満足させることができる。 この戦略が功を奏し、四年半で新たに23店舗をオープン。 その出店スピードは、業界日本一を誇っています。 これまで私は幾度となく困難や逆境に直面してきましたが、 常に心に留めている言葉があります。 「おもしろき こともなき世を おもしろく」 これは幕末の志士・高杉晋作の辞世の句です。 数多の歴史の悲劇を経験し、27歳の若さで結核に倒れて生涯を閉じた晋作が、 それでもなお、自分の人生を面白くできたと詠っている。 これほどのプラス思考はありません。 二代目であった祖父からも、 「迷ったら茨の道をいけ」 と言われてきました。 その言葉に私は「笑顔」を加え、どんな壁に直面しようとも、 それを理解し受け止め、明るく元気に朗らかに、立ち向かっていく覚悟です。 |
2019.10.18 |
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