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二十七歳までに決断 芸術監督・指揮者として世界的に活躍する西本智実氏。 私は幼い頃に音楽教育が始まりましたが、 趣味なのか職業としてその道を 歩いていけるのかを見極めたく、 「二十七歳までに決断!」と決めていたんです。 それで一九九六年、二十六歳の秋に ロシアの国立サンクトペテルブルク音楽院に 留学しました。 ロシア語もほとんど話せず、 現金百万円で一年間の学費と家賃、 生活費を賄う日々。 指揮科への日本人留学生は 私が初めてだったので、 随分と気負ってばかりでした。 実力次第でオーケストラを 指揮する時間が決められるので、 みんな必死で勉強します。 仲間であり同時にライバルになるので 常にプレッシャーに晒される環境でした。 加えて、ロシアで初めて迎えた マイナス三十度の冬は想像以上でした。 ソ連が崩壊した後の情勢不安もまだ残っており、 来るはずの市電が来ないのは日常茶飯事。 そういう異国の地で次第に孤独感が募っていきました。 先生が劇場で指揮する公演を 間近で勉強させてもらう日は、 帰宅が二十三時半頃になります。 ある公演があった日、来るはずの市電が 待てど暮らせど来なくて、 このまま極寒の中で完全防備でもないのに 立ち止まっていると危ないと判断し、 自宅まで歩いて帰ることにしました。 耳もちぎれそうに痛いけれど、 お店も閉まっている。 トボトボと歩いていたら道にできた アイスバーンでひっくり返ってしまいました。 鞄の中から楽譜や筆箱に入っていた鉛筆が 道に散乱しましたが、 しばらく立ち上がることができませんでした。 凍死ってこういうことかなと。 しばらくすると、通りすがりの見ず知らずの おじさんが起こしてくれ、 勢いをつけて背中を押してくれたんです。 それでまた歩き出すことができました。 力強く背中を押された時に 「頑張って歩きなさい」という エネルギーのようなものを 入れてもらった気がします。 その時は「ありがとう」のひと言すら言えず仕舞いで、 無事に寮の自室に戻っておいおい泣きました。 現在でも女性指揮者の数は 世界中の指揮者の〇・一%にも満たないと思います。 筋力的にも女性指揮者のほとんどが 合唱団や小編成楽団の指揮を任されます。 ところがロシアはオーケストラも 歌劇場も大きな組織が多い! 音が細くならないように、 リハーサル時でも絶対に半袖は着ませんでした。 若い頃は一回の公演で三キロも 体重が減ってしまったので、 体幹をしっかりさせるために体も鍛えました。 また、重く分厚い音を出したくて、 長袖のブラウスの中にベストを着込んで臨んでいました。 |
2020.01.13 |
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