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横井小楠の国家構想 「大義を四海に布かんのみ」 幕末維新に坂本龍馬や吉田松陰など、 多くの志士に影響を与えた人に横井小楠という人がいます。 勝海舟も影響を受けた一人で 『氷川清話』の中で 「俺は今までに天下で恐ろしいものを2人見た。 それは横井小楠と西郷隆盛とだ」 と言っています。 数多いた志士の中でも小楠の見識は 群を抜いていたということです。 慶応元(1865)年の9月、 当時、沼山津に住んでいた横井小楠を 元田永孚(ながざね)が訪ねて 3日2晩起居を共にし、語り合ったことがあったそうです。 ペリーが4艘の軍艦を率いて浦賀沖にやってきたのが、 1853年ですから、世の中は騒然としていたことでしょう。 その時のことを元田が 『沼山閑話』としてまとめています。 当時、小楠は57歳、元田は48歳、 9歳のひらきがありましたが、 儒者としてどちらも円熟の年齢に達していました。 その中で小楠がこんなことを話しています。 「西洋の学はただ事業の上の学にて、 心徳上の学にあらず。 故に君子となく小人となく上下となく 唯事業の学なる故に 事業は益々開けしなり。 その心徳の学なき故に 人情にわたる事を知らず、 交易談判も事実約束を詰めるまでにて その詰まるところついに戦争となる」 西洋の学は事業を発展させるための学問であり、 心徳の学――即ち人間の徳性を 高めるための学問ではない。 従って君子も小人も社会の上から下までの人々が ただ事業の学問をするのみで事業は益々開けていった。 しかし、その人々の心には心徳の学問がないために 人情ということが分かっていない。 交易の談判も事実約束をつめるだけであるから、 つめればつめるほど戦争になる。 そしてこう断言している。 「事実の学にて心徳の学なくしては 西洋列国戦争の止むべき日なし」 事業の発達発展しか考えず、 人間の徳性の発達を考える学びがないとなれば、 西洋列国に戦争の終わる日はない、と言っているのです。 その上で、小楠はこう言います。 「三代の治道を講じて西洋の技術を得て、 皇国を一新し、西洋に普及せば、 世界の人情に通じて終に戦争を止むこと、 いかにも成るべきなり」 三代の治道とは、夏、殷(いん)、周の三代の政治のことで、 この三代は賢帝が徳をもって国を治めたと言われています。 夏、殷、周の時代のように徳をもって国を治めるようにし、 西洋の技術を取り入れて、日本の政治を一新し、西洋に普及すれば、 世界の人情に通じて、最終的に戦争をなくすことは可能なことだ、 と小楠は元田に語っているのです。 150年前に、彼我の違いを明確にして、日本の進むべき道を示していた 小楠の見識は目を見張るべきものがあります。 小楠が2人の甥の米国留学に際して贈った言葉があります。 「堯舜(ぎょうしゅん)孔子の道を明らかにし 西洋機械の術を尽くさば 何ぞ富国に止まらん。 何ぞ強兵に止まらん。 大義を四海に布かんのみ」 中国古代の理想的帝王といわれた堯や舜の行った道、 また孔子が説いた道を国民の隅々まで浸透させ、 その上で西洋の機械、技術を尽くしたら、 その力は国を富ますだけに留まらない、 軍隊を強くすることに留まらない。 世界に大義の大事さを行き渡らせることができるようになる。 それが日本の役割だ、ということです。 この漢詩をもらった甥っ子たちは 心を奮起させられたことでしょう。 田口佳史氏の著書『横井小楠の人と思想』より。 小楠の「国家構想」は、 堯舜三代の治世を復活させて 世界一等の仁義の国となり 天に代わって世界の民の為に働き 世界の世話焼き国家となって 大義を世界に広める この小楠の国家理念をひと言でいえば 「富国有徳の国づくり」という言葉に要約されると思います。 会社を立派に経営していくためには経営理念が必要なように 国家を立派に経営していくためにも理念が必要です。 |
2024.11.08 |
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