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福を招き寄せる生き方(幸田露伴) 渡部昇一 露伴は福を身につける三つの道を示します。 「惜福」「分福」「植福」です。 運が巡ってきて福に恵まれます。 そこでどうするか。恵まれた福を使い切らず、 その福の一部を見えないところを 巡っている運にお返しするような気持ちでとっておく。 その心掛けが惜福です。 露伴は母親に新しい着物を 作ってもらった兄弟を例に述べます。 一人は古い着物はまだ着られるのに 行李の底に放り込んで黴だらけにし、 新しい着物を毎日着てたちまち着崩してしまいます。 一人は古い着物は日常着とし、 新しい着物は改まった場で着るようにします。 前者には惜福の工夫がなく、 後者の態度こそ福を惜しむということだ、 と露伴は言っています。 「幸運は七度人に訪れる」という諺があります。 その一方、自分は非運続き、 一度も運に恵まれなかった、と嘆く人がいます。 本当にそうでしょうか。 七度訪れるかどうかは別にして、 仔細に見れば、運と全く無縁の人など いるはずがありません。 問題は、微かにでも巡ってきた運を感じ取り、 有り難く受け止めることができるかどうかです。 どのようなものであれ、 自分に巡ってきた運を感じ取り、感謝する。 この心が惜福を心掛け、 惜福の工夫をする土台になります。 惜福は自分に来た福をどう扱うか、 言ってみれば自己一身の問題で、 どちらかと言えば福に対処する消極的側面です。 しかし、これだけでは十分ではありません。 自分に来た福を他に及ぼしていく 積極性がなければならない、と露伴は述べます。 それが分福です。 自分に来た福を自分で使い切らず、 いくらかは分けていく。 分福は特に人の上に立つ者にとっては 不可欠の心掛けだと言えましょう。 惜福分福は自分に来た福への対処の問題です。 だが、福に対して受け身であるだけでは、 万全とは言えません。いつになるかは分からない。 どこに行くのかも分からない。 だが、いつか誰かに巡っていく福の種を蒔き、 幼木を植えておく心掛けと工夫があってこそ、 福は万全のものになる、と言えましょう。 それが植福です。 「福を論じて最も重要なのは植福である」 と露伴は言い、 一本のリンゴの木を譬えにして説明しています。 リンゴの木を植え、適宜剪定をして 木を長持ちさせるのは惜福です。 そうして豊かに実った果実は 自分が味わうのはもちろんですが、 自分だけでなく他にも分けて楽しみます。分福です。 さらにリンゴの種を蒔き、 幼木を育ててリンゴの木を増やしていきます。 増やしたリンゴの木がつける果実を、 自分は味わえないかもしれません。 だが、子や孫と次の世代が そのおいしさを堪能できるのは確かです。 これが植福です。 植福とは福を作り出すことなのです。 これを繰り返せば、 「無量無辺の発生と産出とを為す」 と露伴は言います。 |
2024.11.07 |
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