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道元のめざしたもの 道元は1200年正月2日、 内大臣・久我通親(こがみちちか)を父に、 前摂政関白・藤原基房(もとふさ)の娘伊子を母として生まれました。 3歳の時に父を、8歳の時に母を亡くし、 幼心にも強烈な無常観を抱いたといいます。 14歳の時に出家。 修学まもなく、 人間は本来仏性を持っていると経典は説いているのに、 その人間がなぜ修行しなければならないのかという疑問を持ち、 その答えを求めて、 高僧といわれていた人を訪ね歩くのですが、 ついに明快な答えを得られないままでした。 その答えを得たい思いもあったのでしょう、 道元はさらに道を求めて、 24歳の時に宋にわたり、 26歳の5月に生涯の師となる如浄(にょじょう)に師事、 7月半ば夏安居(あんご)中についに大悟徹底し、 永年の疑問も一気に氷解したのです。 道元はその後2年間宋に滞在、 28歳の時、如浄より嗣書(ししょ)を相承し、日本に帰国しました。 その1年後、道元29歳の時、如浄は66歳で亡くなります。 道元が如浄と出会って3年後です。 出会いの妙を思わざるを得ません。 自分が長年抱いていた疑問を道元はこう解き明かしています。 「この法は人々(にんにん)の分上に ゆたかにそなわれりといえども、 いまだ修せざるにはあらわれず、 証せざるにはうることなし」 仏性はどんな人の中にも豊かにそなわっているが、 修行をしないと現れてこないし、 悟らなければ得ることはできない、ということです。 道元が10数年の歳月をかけて得た解答はきわめて鮮やかです。 ちなみに『道元一日一言』では、 この言葉を1月1日の言葉として記載しています。 大谷先生は道元の言葉を 「彫琢された無駄のない言葉である。 時には詩的ですらあって美しい」といわれ、また 「時代をこえ宗派をこえて今なお私たちに訴える力を持っている」 といわれています。 まったく、その通りです。 それだけ魅力的な言葉が多いということですが、 その道元の言葉の中から、私が座右銘としている言葉を紹介します。 1月30日の言葉です。 「玉は琢磨によりて器となる。 人は練磨によりて仁となる。 いずれの玉か、はじめより光有らん。 誰人か初心より利なる。 必ずみがくべし。須(すべから)く練るべし。 自ら卑下して学道をゆるくする事なかれ」 玉は磨いて初めて見事な器となる。 人も練磨することで徳のある人になる。 どんな玉でも初めから輝く光は持たない。 どんな人も最初から優れていたわけではない。 必ず切磋し、練磨せよ。 自らを卑下して、道を学ぶことを怠けてはならない。 |
2020.06.15 |
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