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      次代に輝く住まいを創る

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一語履歴WORD vol.473a

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あなたには三つの太陽(子供)がある 480a誕生日は母に感謝をする日
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利益なくして安全なし
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皆にこういうふうな接し方をすればいいんだ 478a成功の哲学
一語履歴 vol.477
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一語履歴 vol.474
勝者は勝つべく 474a必死真剣さが 474b自分に厳しく 474c心の免疫力
一語履歴 vol.473
チャンスを呼ぶ3つの習慣 473a男として名指しされて
一語履歴 vol.472
幸福に生きるためには大事なこと 472a人間学なき者に指導者の資格なし
一語履歴 vol.471
日本人の美徳 471a続けていくこと... 471b独創力を発揮する三条件
男として名指しされて断ることはできへん
          島田叡(沖縄県最後の官選知事)

昭和20年1月、沖縄守備軍の司令官・牛島満中将から
「ぜひ島田叡君を」との指名がきます。

牛島中将は島田と旧知の間柄で、
二人とも西郷隆盛に私淑していたことが
機縁で肝胆相照らす仲だったのです。
沖縄戦を目前にした牛島中将は
「今、沖縄県知事をやれるのは島田君しかいない」
との確信を持って、知事就任の要請をしたのでした。

沖縄を守るために最期まで烈々たる戦いを指揮し、
沖縄の土となった牛島満中将が見込んだ島田叡とはどのような人だったのでしょうか。

当時43歳でエリート官僚として大阪府に勤めていた島田は、
府知事から呼び出されて沖縄県知事への就任を要請されました。
島田は「私が行きます」と即答しました。
島田は兵庫県神戸市の出身で、沖縄県とは縁もゆかりもありません。
府知事は「君、家族もあるのだから、
相談した上で返事してもいいんだぞ。断ってもいいんだ」
と言いました。

しかし、島田は 「いや、これは妻子に相談することではありません。
私が決めることです」と答えたといいます。

帰宅後、妻の「なぜ、あなたが!?」との問いに、
島田はこう言いました。

「誰かが、どうしても行かなならんとなれば、
言われた俺が断るわけにはいかんやないか。
俺が断ったら誰かが行かなならん。
…これが若い者なら、赤紙一枚で否応なしにどこへでも行かなならんのや。
俺が断れるからというので断ったら、俺は卑怯者として外も歩けんようになる」

のちに島田はこうも言っています。
「牛島さんから赴任を望まれた。男として名指しされて断ることはできへん」。

こうして、1945年1月31日、
島田叡は沖縄県知事として単身、赴任しました。
島田の荷物はトランク2つだけ。
中には衣服と茶道具、薬、『南洲翁遺訓』と『葉隠』。
そして、ピストル2丁。胸ポケットには青酸カリが入っていました。
決死の覚悟が窺えます。

2020.05.29

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