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男として名指しされて断ることはできへん 島田叡(沖縄県最後の官選知事) 昭和20年1月、沖縄守備軍の司令官・牛島満中将から 「ぜひ島田叡君を」との指名がきます。 牛島中将は島田と旧知の間柄で、 二人とも西郷隆盛に私淑していたことが 機縁で肝胆相照らす仲だったのです。 沖縄戦を目前にした牛島中将は 「今、沖縄県知事をやれるのは島田君しかいない」 との確信を持って、知事就任の要請をしたのでした。 沖縄を守るために最期まで烈々たる戦いを指揮し、 沖縄の土となった牛島満中将が見込んだ島田叡とはどのような人だったのでしょうか。 当時43歳でエリート官僚として大阪府に勤めていた島田は、 府知事から呼び出されて沖縄県知事への就任を要請されました。 島田は「私が行きます」と即答しました。 島田は兵庫県神戸市の出身で、沖縄県とは縁もゆかりもありません。 府知事は「君、家族もあるのだから、 相談した上で返事してもいいんだぞ。断ってもいいんだ」 と言いました。 しかし、島田は 「いや、これは妻子に相談することではありません。 私が決めることです」と答えたといいます。 帰宅後、妻の「なぜ、あなたが!?」との問いに、 島田はこう言いました。 「誰かが、どうしても行かなならんとなれば、 言われた俺が断るわけにはいかんやないか。 俺が断ったら誰かが行かなならん。 …これが若い者なら、赤紙一枚で否応なしにどこへでも行かなならんのや。 俺が断れるからというので断ったら、俺は卑怯者として外も歩けんようになる」 のちに島田はこうも言っています。 「牛島さんから赴任を望まれた。男として名指しされて断ることはできへん」。 こうして、1945年1月31日、 島田叡は沖縄県知事として単身、赴任しました。 島田の荷物はトランク2つだけ。 中には衣服と茶道具、薬、『南洲翁遺訓』と『葉隠』。 そして、ピストル2丁。胸ポケットには青酸カリが入っていました。 決死の覚悟が窺えます。 |
2020.05.29 |
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