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我慢を強いられた監督さんこそイチローに根性をつけてくださった 日米球界で活躍したイチローさんの父 鈴木宣之さんのお話。 イチローは高校は 野球の名門校の愛工大名電高に進み、 親元を離れ寮に入りました。 別々に暮らしましたから、 それこそ私がイチローに会うには 高校の練習を見に行くしかありません。 だから高校時代も毎日練習を見に行きましたが、 今度は自由にやらせてくれる監督さんだったので、 安心して見ていられました。 だからじっと我慢してわが子を見続けたのが中学三年間、 おもしろく見られたのが高校三年間でした。 高校卒業後、イチローはドラフト四位で オリックスへ入りましたが、最初の二年間は 再びグッと耐えなければならない監督さんで、 一軍と二軍を行ったり来たりしました。 そして三年目に、いまは亡き仰木彬さんが監督になられ、 今度は自由にやらせてくださって大爆発。 プロ野球史上初めての二百十安打を達成したのがこの年です。 耐えなければならなかった期間があったから、 自由にやらせてもらえるようになって 力を発揮できたのかなと。 そう考えると、いろいろな監督がいましたけど みんながイチローのためになってくださったと思います。 我慢を強いられた監督さんこそ、 イチローに根性をつけてくださったんだと感謝していますね。 監督さんだけじゃない。 小学生のイチローと二人で昼下がりに野球をやっていたら、 そりゃいろいろな声が耳に入ってきました。 大の男がお日様がカンカンに照っている時に、 小さな子どもと二人で野球ごっこして遊んでいる。 近所の人から見てみれば、あいつはアホかと。 子どもをプロ野球選手にでもする気かと、 笑われました。 でも、人の言うことに負けちゃいけないんだよ、 いろいろ言う人もいるけど絶対に負けるなよ、 とイチローを奮い立たせて練習に向かいました。 批判してくださった人がかえって 根性をつけてくださったんだと、 いま感謝していますね。 |
2021.05.07 |
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