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人生を深く見つめるようになった時がチャンス (白駒) 私は読書を考えていた時に、 偶然にも自分が心から納得する文章に出合うことができました。 それは平成10年に上皇后陛下(当時は皇后陛下)が、 ニューデリーで開かれた国際児童図書評議会(IBBY)の席上、 ビデオメッセージとして届けられた 「子供の本を通しての平和─子供時代の読書の思い出─」 と題する基調講演の内容でした。 私はこれを読んだ時、多くの日本人が共通分母として持っている感覚や経験を、 上皇后陛下が明確な言葉にして伝えてくださったことに、とても心打たれたんです。 (井口) どういうことをおっしゃっているのですか。 (白駒) 例えば、ヨハンナ・スピリの『アルプスの少女ハイジ』について 触れられた次のような一文があります。 「子供はまず、『読みたい』という気持から読書を始めます。 ロッテンマイアーさんの指導下で少しも字を覚えなかったハイジが、 クララのおばあ様から頂いた1冊の本を読みたさに、 そしてそこに、ペーターの盲目のおばあ様のために本を読んであげたい、 というもう1つの動機が加わって、どんどん本が読めるようになったように。 幼少期に活字に親しむことが、何より大切だと思います」 私はこれを読んで幼少期の教育のあり方を改めて教えられた気がしました。 厳しくて融通の利かない家庭教師・ロッテンマイアーさんのようなやり方で、 親や教師が嫌がる子供たちに無理強いをしている。 それに子供たちが嫌だと言えなくなってしまっているのが現代なのではないか、と。 (井口) おっしゃる通りですね。 (白駒) 井口先生は「植物に譬えると感性こそが根っこであり幹である。知性は枝葉である」と よくおっしゃいますが、考えてみたら、現代の教育は知性ばかりに重点が置かれて、 感性を育むという意識が希薄になっているようにも思うんです。 枝葉ばかりが茂っても、根っこや幹が弱かったら、その木は倒れてしまいますよね。 (井口) 読書も本来は感性を育むためのものです。感性こそが、生きる力です。 (白駒) そのことを踏まえて、私はある時、井口先生に 「幼少期に感性を育む教育を十分に受けてこなかった人が、 大人になって感性を育みたいと思った時、どうしたらいいですか。 それとも、大人になってからでは手遅れでしょうか」と質問しました。 すると、先生はこうおっしゃったんです。 「手遅れなどということは全くない。 人間学は気がついた時にいつでも学べるものです。 人間学を学び感性を豊かにするには 長い間読み継がれてきた古典に触れるのが最も望ましいけれども、 大切なのは目的を持たず、結果を求めず、丁寧に読むことです」 結局、「人の心を動かせるリーダーになりたい」というような特定の目的を持って読めば、 知識を得るための読書になってしまう。 そうではなく、目的を手放して先人と心を通わせるような気持ちで読むと、 それはストレートに魂に響いて感性を育むことができる、ということなのでしょうね。 (井口) その通りです。 私の知っている若者の話ですが、彼は高校を出ると、ある仕事に就きました。 しかし、会社の年配の者から 「これはお前のような若者がやるような仕事ではない。 もう少し別の道を考えたらどうか」と言われて、 司馬遼太郎の『竜馬がゆく』を推薦されたというんです。 若者は仕事の休み時間などにその本を少しずつ読んでいたのですが、 感激のあまり涙がポロポロと溢れて仕方なかった。 「高校の先生がこのような本をなぜ薦めてくれなかったのか、 この本を読んでいたらもっと違う人生を歩めたのに」と悔やんだそうです。 だけど、若者はその後、別の仕事に就いて人間的にも大きく成長しましたよ。 彼にとって『竜馬がゆく』を読んだことが人生の転機になったわけですね。 このように青年期には人間の生き方を教えるような書物に親しみ、 いかに生きるべきかを考え、生き方を選択して志を立てることが大切だと私は思います。 年齢に限らず人間は人生を深く見つめるようになった時がチャンスです。 そういう時にいい本に出合う。 60歳を前にカレルと出合い、人生が大きく変わった私が何よりの証拠です(笑)。 |
2019.09.09 |
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