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      次代に輝く住まいを創る

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一語履歴WORD vol.092

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一語履歴 vol.099
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一語履歴 vol.098
たった... 098a伸びる... 098b天の声... 098c人生の花... 098d一生修行...
一語履歴 vol.097
22年間... 097a信頼... 097bゾウ... 097c人生の花...
一語履歴 vol.096
求められること... 096a迷った時... 096b脊髄に... 096c試されている...
一語履歴 vol.095
日本一... 095aアイデアの... 095b偲ぶ... 095cよそが...
一語履歴 vol.094
学びこそ... 094a世界一... 094bおせっかい... 094c僕が看取った...
一語履歴 vol.093
意味がある... 093a掃除は... 093b焦点を... 093c13年...
一語履歴 vol.092
カナヅチ... 092a小が... 092bある幼稚園... 092c水深... 092d平凡な...
一語履歴 vol.091
やめたら... 091a本当の心... 091b土壇場... 091cおいしい酒...
カナヅチからトップアスリートへ
          岡本美鈴(プロフリーダイバー)

“海を敬愛するリトル・マーメイド” という異名を取る
プロフリーダイバーの岡本美鈴さん。
2003年からフリーダイビング競技を始め、
初めて日本記録を樹立したのは2006年のこと。

その後、毎年日本記録を更新し続け、
2010年世界大会団体戦にて日本初の金メダルを獲得しました。

しかし、そんな岡本さんですが、幼少の頃から水泳が苦手で
フリーダイビングを始めるまではほとんど泳ぐことができなかったといいます。

「イルカと一緒に泳ぎたい!」

その思いをきっかけに、
スポーツとしての素潜りである
「フリーダイビング」を始めたのは、
2003年、30歳の時です。

全くのカナヅチだった私にとって、
それは無謀な挑戦でもありました。

しかしそれでも決意したのは、

「いつ体が動かなくなっても
 後悔しないように生きたい」

との思いに突き動かされてのことでした。

1995年3月20日、珍しく早く目が覚めた私は、
余裕を持って通勤電車に乗り込みました。

遅刻寸前の普段と違い、
乗り換えに便利な前方車両に乗車。

この電車で起こったのが地下鉄サリン事件でした。

重症は免れたものの、
全容を知った私は愕然としました。

サリンが撒かれたのは、
私が毎朝乗っていた車両だったのです。

当時22歳、人生の意味を考えたことも、
死を意識したこともなかった私は
ショックを隠せませんでした。

さらに翌年、私を襲ったのは卵巣腫瘍でした。

自覚症状がなかったため発見が遅れ、
病院で受診した時には腫瘍は5キロにも膨れあがり、
破裂すれば即死という状態になっていたのです。

良性か悪性かも分からない上、
胸部にもしこりが見つかり、
私は「なるようにしかならない」と死を覚悟しました。

幸い摘出手術は無事成功。

腫瘍は良性でしたが、以来私は
人生の目標を求めるようになりました。

明日自分の命がないかもしれないと思うと、
いてもたってもいられなかったのです。

興味を持ったことには
とにかく挑戦しようと決意したものの、
すぐに目標は見つかりません。

そうした時に偶然目にしたのが、
小笠原諸島を特集したテレビ番組でした。

綺麗な海で楽しそうにイルカと泳ぐ女性の姿に、
私は一瞬で魅了されました。

泳げなくとも目の当たりにすれば満足できるだろう。

最初で最後のつもりで訪れた小笠原の海は、
想像以上のものでした。

テレビとは比べものにならない音や光の迫力――。

ライフジャケットを着て
水面に浮いていることしかできなかった私の中で、
深く潜ってイルカと泳ぎたいとの思いが高まっていきました。

プロのフリーダイバーに偶然出逢ったのは、
2003年のことでした。

イルカと上手に泳げるようになると聞き、
初めて競技の映像を見た時の衝撃は
いまでも忘れられません。

老若男女問わず、海に潜っていく姿は、
海洋生物になって海に溶け込んでいくように美しいのです。

私は自分がカナヅチであることも忘れ、
「このスポーツをやるんだ」と決意を固めていました。

講習を受け始めるとすぐに潜れるようになりましたが、
練習を重ねる中で立ちはだかったのは、
やはり泳げないという壁でした。

万一事故に遭えば、泳いで陸に
戻らなければいけないのはもちろん、
水泳ができなければ選手としても成長できません。

先輩からのアドバイスを受けた私は、
意を決して水泳教室に入校。
仕事の傍ら週3回の教室に通い始めたのです。

当初はビート板で25メートル泳ぐのが精いっぱいでしたが、
1年後にはクロールで3キロも泳げるようになり、
フリーダイビングの記録は飛躍的に伸びていきました。

2004年には、初めての公式大会で32メートル潜水し、
翌年初出場したフランスでの世界大会では
52メートルを記録するなど、
努力に応じて成績が急上昇していったのです。

イルカと泳ぐために始めたフリーダイビングでしたが、
気づけば私は競技に夢中になり、
2006年には61メートルの日本記録を
樹立するまでになっていました。
 
2014.04.14

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