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昭和天皇の最後の「料理番」 谷部金次郎 陛下の質素な食生活、初めてお会いできた時の感動、崩御された時の悲しみ…… 激動の時代を乗り越えられた昭和天皇の温かいお人柄が偲ばれます。 料理人として陛下にお会いできる機会はまずありません。 いつも女官さんを通して陛下の感想が私に伝えられました。 ただ、陛下にお仕えした26年間の中で 1度だけ直接お目にかかることができました。 菊栄親睦会という、皇族と旧皇族の方々による年に1回の催しの席でのことです。 その頃、私は大膳課に入って5、6年が経っており、 陛下のお食事も作り始めていました。 立食形式のそのパーティーで、私は天ぷらの係になりました。 黙々と天ぷらを揚げていると、目の前に陛下がお立ちになっていました。 この時初めて陛下に直接こうお声を掛けられました。 「穴子としそを」 「はい、かしこまりました」 そう返事はしたものの、頭の中は真っ白。 緊張して手は硬直し、小刻みに震えて、穴子としそがうまく箸で掴めません。 どうにか揚げなくては、と震える右手をおさえるように 左手を添えながら、なんとか油の鍋に入れました。 ところが、衣と葉がバラバラになってしまい、見る影もありませんでした。 それでも陛下は天ぷらの出来栄えを気にするご様子もなく、 喜んで召し上がってくださいました。 その時、私はその場に倒れそうなくらい力が抜けていました。 戦後生まれの私は、正直なところそれまで陛下を 特別な存在と思ったことはありませんでした。 ところがこの日、陛下の穏やかながら威厳のあるお姿に接し、 自分はなんと小さい存在なんだと圧倒されそうになったのです。 生涯この方おひとりのためにお仕えしようと誓ったのはこの時です。 陛下は、思いやりに溢れたお方でした。 例えば人から物をいただかれた時には 贈り主の心を無駄にしないような扱い方をなさり、 常に相手の立場に立ってものごとをお考えになっていました。 お食事に関してもご自身のお言葉の影響力を 分かっていらっしゃったので、 食べたい物もお言葉にはされませんでした。 しかし、おいしい時は必ず「おいしかった」と伝えてくださり、 一度箸をつけた料理は残さずきちんとお召し上がりになるなど、 私たち料理人にも細かい心配りをされていました。 私は、そんな陛下の豊かな人間性にますます惹かれていました。 陛下が倒れられたのは、昭和63年。 お食事を吹上御所までお運びした数時間後のことでした。 この時のショックはいまも忘れられません。 陛下が最後に口にされた料理はどのような献立だったのか、 いまでも思い出せないくらいです。 それからも陛下のご様態は一向にいい方向には向かわず、 大膳課も最悪の事態に備えていました。 昭和64年1月7日早朝、ついにその時が来ました。 せめて最後のお別れのご挨拶をしたいと、女官さんの後をついて行き、 御簾の向こう側で永遠の眠りにつかれた陛下に深々と頭を下げました。 私の料理に「おいしかったよ」と言ってくださる陛下には 2度と会えないと思うと、魂が抜けていくような気がしました。 御大葬が終わり、私は次の行き先も決まらぬまま、大膳課を辞める申し出をしました。 子どもたちはまだ5歳と3歳、家を買ったばかりでローンもだいぶ先まで残ったまま。 しかし、自分がお仕えするのは昭和天皇おひとりのみという私の意志は、 決して揺るがなかったのです。 大膳課を辞めた私は、テレビ番組や自宅、大学で料理を教えるようになりました。 仕事は変わっても、おもてなしの心が 料理を作る上での原点であるという思いは変わりません。 陛下から学んだ思いやりの心を多くの人に伝えることが、 いまの私の使命と思っています。 |
2025.08.28 |
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