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      次代に輝く住まいを創る

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一語履歴WORD vol.869

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本物を目指し磨き続ける  ~渡邊直人・河原成美・青谷洋治
一語履歴 vol.869
自分だけの『プラス1』を探しなさい ~中島伸子
一語履歴 vol.868
子供に対して見返りを求めない愛情  ~星野富弘(詩画作家)
一語履歴 vol.867
自分は竜を見たことがある   ~ワンチュク国王(ブータン)
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人生に迷ったら... それ境は 伸びる人 負けるのは 世界を変える...
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好去好来の歌 ...になるのが人生 国危うし 人間は 事を為す人
一語履歴 vol.864
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一語履歴 vol.863
実現する  成功の秘訣 良いものをつくるには 大切なこと ...は影響力
一語履歴 vol.862
願い トップの役割 独創力発揮の条件 競争相手 ピカソからの言葉
一語履歴 vol.861
琢磨し練磨...  成るの心がけ 失敗をしたら 負けたくない相手 魅力

自分だけの『プラス1』を探しなさい
          中島伸子

年間3億本を販売する「あずきバー」をはじめ、
数多くのロングセラー商品を手掛ける井村屋グループ。
同社を率いる中島伸子さんは、アルバイト出身から
同社初の女性社長に抜擢されました。

しかしそこに至るまでには、
20歳の時、北陸トンネル列車火災事故に
巻き込まれるなど波乱万丈の歩みがありました

私自身、一酸化炭素中毒で声帯が
麻痺して声が出なくなり、3か月入院しました。
最初に喉から煤の塊が出てきた時は驚きでしたよ。

声を使う仕事は諦めたほうがいいと医者に言われ、
教師の道を断念せざるを得なかったんです。

自分の行き先がある日突然プチッと切れてしまった。

少しずつかすれ声は出るようになりましたが、
退院して3~4か月は実家で療養しながら
何もせずにぶらぶら過ごしていました。

ある時、父が手紙をくれましてね。
こう書かれていました。

「君は自分の人生をどうするんだ。
 声が出なくても立派に生きている人はたくさんいる。
 声が出ないことを気にするんだったら、
 自分だけの『プラス1』を探しなさい。
 それがあれば必ず人の役に立つ。
 『辛い』という字に一本足せば、
 『幸せ』という字になる。
 それを忘れずに一所懸命生きていくことが
 亡くなった人への恩返しであり使命ではないか」

この手紙は非常に心に残っていて、
アルバムに貼っていまでも大切に持っています。

当時の私は、あのお母さんから託された
子供の命を救えなかった後悔や
事故の後遺症で教師の夢を絶たれた無念に苛まれ、
この辛い気持ちをどうしたらいいか分からない、
誰かに救ってほしいという未熟さがあったんですね。

父の言葉が何にも代えがたい心の支えになり、
それをきっかけに立ち直っていきました。

短大を卒業後、高校時代の同級生と結婚し、
声をあまり使わなくてもできる仕事を
と思って始めたのが、井村屋の福井営業所での
経理事務のアルバイトだったんです。

23歳の時です。

経理は未経験だったので、夜間学校に通って
勉強しましたし、電話番はできない代わりに、
配達でもトイレ掃除でも何でもしますと言って、
4トントラックの免許を取得して運転したりもしました。

その時に、

「ああ、そうか。仕事に貴賤はない。
 必要だからその仕事が存在している。
 どんな仕事でも一所懸命やろう」

と思ったんです。
そこに、父から言われた
「プラス1」を足せばきっと私らしい仕事ができると。

そういう中で、カップアイスの蓋を
開けやすくする改善提案をしたところ、
これが採用されて賞をもらいました。

バイトでも分け隔てなく表彰してくれる社風に感動しましてね。

学校の先生になりたいという未練を捨て、
社員登用試験を受けて正社員になったんです。
1978年、25歳の時でした。

2025.03.30

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