一語履歴
苦痛が人間を浄化する(小林秀雄の信条) 高見澤潤子 評論家の佐古純一郎さんが、河出書房で編集に携わっていた時、 仕事で、旅館にこもっている兄の姿に接しました。 兄(小林秀雄)は佐古さんが来られることなど知らなかったのでしょう。 四つんばいになって、その座敷をはいまわっていたそうです。 それほどに、苦しんで、苦しんで、厳しく仕事していたのです。 「喜びといっても、 苦しくなければ喜びなんてありません。 学問する人はそれを知っています。 嬉しい嬉しいで学問をしている人はいない。 困難があるから面白いのです。 やさしいことはすぐつまらなくなります。 そういうように人間の精神はできているのです。 だから子供の喜びとは違うのです。 喜びというものは、 あなたの心の中から湧き上がるのです」 これは、兄が全国の大学生、三、四百名を集めての 思想研修で五回講演したその一つで、講演後の質疑応答の一部です。 いまの人は苦しむことを嫌がります。 苦しみの尊さなど考えもしません。 苦しみが喜びになる経験などしようともしないでしょう。 しかし、兄はこうもいいました。 「苦痛が人間を浄化する時、 人間は苦痛に敬礼する。 此の敬礼こそ人間の歓喜である」 強い精神は、苦痛を苦痛として忠実に経験していきます。 そして、その苦痛が決して無駄ではなく、 却って成長させてくれたことを知って、喜ぶのです。 苦しみに負けてはいけません。 苦しみに勝つ強い精神を持たなくてはいけません。 信仰を持つ者は、たいてい苦痛を感謝して 受け入れる精神を持つことができます。 兄は、このような言葉がいえる、 大きな魂に対する信仰を持っていたともいえます。 この苦痛に対する姿勢は、私たちが日常生活で味わう さまざまな体験についても同じことがいえます。 『カラマアゾフの兄弟』の中で、 ドストエフスキーを評して、体験ということを語っています。 「彼は、何も彼も体験から得た。 生活で骨まで しゃぶった人のする経験、 人生が売ってくれるものを踏み倒したり、 値切ったりしなかった人のする経験、 自己防衛術を少しも知らず、 何ごとにも のめりこめた人のする経験、 さういふものから自分は、何も彼も得たのだ、 さういふ彼の声が、書簡の何処からでも聞へる」 経験は大事です。 私たちは経験によって人間ができていき、精神もゆたかに成長していきます。 しかし、その経験の仕方で、その深さがぐっと違ってきます。 たいていの人は、その経験がいいかげんで、 打算的で、自己防衛的で楽なことばかり 望んでしていますから、せっかくの経験は貧しく弱く、 自分を成長させるところまでいきません。 本当の経験になっていないことが多いのです。 私は、このドストエフスキーの経験のことを述べた兄の文章に、 そのまま兄の姿を見るような気がします。 |
2025.11.06 |
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