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      次代に輝く住まいを創る

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一語履歴WORD vol.669a


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人間は進歩か退歩か...~見えないところが... 661a「耐える」
共に是れ凡夫

戦後教育の立て直しに情熱を注いでいる
元高校教師の中村正和さんは、
普通高校や定時制高校での苦しい体験を経て、
「共に是れ凡夫」の自覚に至ります。

(中村)
救えなかった子供たちも山ほどいたわけですが、
普通高校でも、さんざん指導していた生徒が
またタバコを吸ってしまい、
黒板に「先生ごめんなさい」と書いて
失踪してしまったことがありました。

その度に、私は教育をやる資格があるのだろうかと
自分自身に問い続けてきたんですね。
瀬戸先生にも叱咤激励され、
いろいろご助言をいただいてきました。

私が最終的に到達したのが、
聖徳太子の「十七条憲法」第十条にある

「共に是れ凡夫」

の自覚でした。

聖徳太子はこの言葉で、
自分も含めて人間は誰もが欲深く
欠点だらけの弱い情けない存在で、
先生も生徒も皆、本当は「凡夫」だと
おっしゃっているんですよ。
これは、定時制高校の子供たちから]
教えられたことにも通じます。

つまり、立派な偉い人間になったから
人に教えるのではなく、
「共に是れ凡夫」であるがゆえに、
共に学び合い、助け合うことが大切であると。
私は立派な人間でなければ、
人に道徳や武士道を教える資格はないと勘違いしていた。

また、「十七条憲法」第一条には
「和を以て貴しとなす」とあります。
人間は皆凡夫であるがゆえに、
お互いの駄目なところを認め合って許し合い、
それぞれのよいところを出し合って一生懸命協力する。
そうすることで和が生まれる、
日本はそうした「和の国」なのだということに思い至りました。

2022.06.20
我が子の素質が開花するよう温かく見守る

十組の父と子がいれば、十通りの向き合い方があります。
それは優れた業績を残した偉人にもいえることです。
評論家・木原武一さんが語る
ピカソの才能を開花させた父親の姿。

(木原)
フランスの劇作家モリエールは、
「学ばずしてすべてを知ることが、
 偉大な芸術家の特徴の一つである」と言っているが、
人間の持つ能力は学習によって
後天的に習得されるものであり、
生まれつきの天才は存在しないと私は考える。

脳の発達する幼い頃に、どのような環境で、
どのような情報を得て、
どのように感性が育まれるかによって、
その人の能力はつくられる。
このことは、20世紀最大の画家
ピカソの生い立ちからも窺える。
 
ピカソは、言葉を覚える前に絵を覚えたと言われている。
スペインには長い渦巻きの形をした
チュロスというお菓子があるが、
幼いピカソは螺旋を描くこと
でチュロスを食べたいと意思表示した。

最初に口にしたのは
鉛筆を意味する「ピス」というスペイン語で、
「ピス」と言う度に母親は鉛筆を渡してくれ、
ピカソは飽きることなく絵を描き続けた。
 
学校へ上がってからも、ピカソは絵ばかり描いていた。
教科書の余白は絵で埋め尽くされたが、
読み書き計算はまるでできず、
アルファベットの順序を覚えることすらできなかった。
 
ピカソがなぜそこまで
絵を描くことに夢中になったかといえば、
画家の父親がいつも絵筆を握っているのを
見ていたからである。
幼い頃の環境がピカソの才能を育んだのである。

彼の家族は、決して絵を描くことを禁じたり、
勉強を押しつけたりはしなかった。
父親は、息子ほどの画才があれば
必ず将来立派な画家になるだろうと期待を寄せ、
母親も、我が子は何をやっても
最高の能力を発揮するだろうと
その将来を信じて疑わなかった。
一家を挙げてピカソの才能を
称賛して止まなかったのである。
 
ピカソが10歳になると、
父親は自分が教師を務める美術学校に我が子を入れ、
学校でも自宅でも徹底的に絵の基礎を教え込んだ。
生涯に2万点もの作品を描いたピカソだが、
実は描いたデッサンの数も膨大であった。
父親のもとで徹底的に基礎を養ったからこそ、
ピカソはその才能を
大きく開花させることができたのである。
 
そうした父と子の関係は、
ピカソが13歳の時に転機を迎える。
ピカソが描いた鳩の絵を見て、
我が子が自分の力量を凌駕していることを悟った父は、
自分の絵筆を息子に譲り、
以来絵を描くことを一切やめてしまったのである。
 
ピカソが幸せだったのは、
同じ絵の道を歩んでいた父親が、
我が子の才能を素直に認め、
いたずらに矯正しなかったことである。

教えることばかりが父親の役割ではない。
我が子の素質が開花するよう温かく見守ることも
父親の役割であり、愛情の表現であると思う。

2022.06.14

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