一語履歴
山頭火が抱き続けた母への思慕 大山澄太(俳人) 昭和十四年の九月の終わり、種田山頭火は大きな風呂敷包みを 一つ持って、広島の私の家にふらりとやって来た。 ところが、好きな酒もあまり飲まず元気がないんです。 わけを問うと、 「笠も破れ、庵も破れて雨が漏りだした。 心臓も破れたようだ。余命いくばくもないと思う」 山頭火はそれまでに素晴らしい俳句を一万三千句も作っている。 私は 「まだまだしっかり良い句を作ってもらわないかん」 といったが、翌日、親しい医者に診てもらうと やはり駄目らしい。 医者が「一年生きたらよい方ですぞ、山頭火さん。 しかし、あなたは友人をたくさん持ち、 好きな旅をし、思う存分俳句を作ったのだから、 いつ死んでもいいでしょう」 という。 山頭火は何と答えるかと彼を見ると、淡々と 「はい、それであります」 と山口弁で他人事のように答える。 己れを客観視しているその悟りは美事でした。 思えば旅に出た頃 「しぐるるや死ないでゐる」 と悟りへの道まだ遠い俳句を残していた彼が、流転九年ののち、 山口県の庵に住みついて、次のような句を残しています。 いつでも死ねる草が咲いたり実ったり 何処でも死ねるからだで春風 いつでも、どこでも死ねる覚悟がついた、という。 生死を明らかにした心境にたどり着いたのでしょう。 「死に場所はどこがいいか」 と尋ねると、 「四国の松山がいい」 という。 私が親しくしている人に紹介状を書いて、山頭火に持たせることにした。 そして翌日、彼は荷物を整理して、禅書や衣を私にくれ、 残ったわずかのものを風呂敷に包もうとした。 そのとき白い布に巻いたものが畳の上に落ちた。 彼は両手で拾いもったいなく扱うので 「それは何か」 と尋ねると、次のように答えるのでした。 「これは自殺した母の位牌なんだ。 父は女に弱く、妾が三人もいた。 母が三十三歳、僕が十一のとき、 父が妾の一人と別府に遊びに行った日、 母は井戸に飛び込んで自殺した。 僕は友達と遊んでいたが、 何やら騒がしいので、行ってみると、 母が井戸から引き揚げられたところだった。 身体じゅうが紫色になり、歯を食いしばっていた。 抱きついて呼んでも返事がない。 そのときの母の姿はいまも幻のように見える。 その後、祖母に育てられて早稲田の文科に入ったが、 ある日、厚い仏教の本を開いたら “在家に生まれて道心を起こして出家するならば、 その功徳によって、もしその家の祖先で 仏になれず迷うている亡霊があったなら必ず成仏する” とあった。 僕はそのとき、母のために出家することを誓ったんだ。 澄太君よ、この位牌は庵では観音様の後ろに安置して 朝夕勤行し、旅に出るときは笈の底に背負って、母と一緒に歩いていたのだよ」 と泣きながら語る。 私も妻も一緒に泣きました。 |
2025.12.30 |
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