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千代子はまだ生きています ~戦争未亡人たちの生き抜いた年月~ 中條高徳(アサヒビール名誉顧問) 暑かった平成二十四年の夏も終ろうとする頃、分厚い包みが届いた。 京都府綾部市の川北千代子さんからのものであった。 お会いしたこともない方々から、毎日のように講演の感動や、 拙著の読後の喜びを伝えてくださるお手紙を たくさんいただくので、すぐにはどなたか思い出せなかった。 お手紙を読むや、この老いの身も心も 電気ショックに打たれたような衝撃を受けた。 この世の出来事かと身をつねるほどの感動であった。 筆者の早朝の靖国詣では数十年に及ぶ。 若い頃、遊就館の「親子の像」の隣の 展示ショールームに飾られている 一通の遺言状に釘付けになった。 「妻千代子へ」という、しっかりした筆跡の遺言状であった。 十八年十二月一日とある。 筆者はその一か月前の十一月三日、 教育総監から陸軍士官学校合格の電報を受け、 勇躍国家のために尽くせると身も心も燃えていた。 遺言状はその頃のものである。 「兼テ軍人ノ妻トシテ嫁グ前ヨリ 覚悟ナシ居リシコトト思フガ 決シテ取乱スコトナク 武勲ヲ喜ンデ呉ヨ ヨク仕ヘテ呉タ事ヲ心ヨリ感謝シテイル 短イ期間デハアツタガ誰ヨリモ 可愛イ妻トシテ暮シタ事ハ忘レナイ 飽ク迄川北家ニ踏止ツテ御両親ニ仕ヘテ呉レ」 入隊前日認ム 川北偉夫 数十年前のことであった。 同年代の男としてこの遺言状に触れた瞬間、 涙が滂沱と流れた。 筆者も結婚していただけに男の気持ち、 その切なさが痛いほど伝わってきた。 国家の防人として出征する男の公の決意と 新婚間もない可愛い妻との別離の切なさの間に立って、 「川北家に止まって両親に孝養を尽くせ」としか 再婚拒否の意を伝えることができなかった戦時下を思うと、 戦争の罪深さと男の切なさが身に沁みる。 筆者は幾度となくこの遺言状の前に額ずいて涙を重ねてきた。 なんとその千代子さんの手紙が届いたのだ。 「千代子は生きています。 八十五歳で幸せに生きています」 との嬉しい感動のお手紙であった。 終戦後二年ほど経っての戦死公報とともに届けられた 遺骨箱の中は空だったという。 御主人の男兄弟は三人で、ご主人の偉夫氏は長男、 次男も比島(フィリピン)作戦で戦死。 三男氏が無事復員。この三男氏が結婚し、 「千代子は川北家でいらない存在になりました。 しかし再婚のお話もすべて断って 遺言状の夫の心を心として生きてきた 千代子にとって別の途はありません」 と川北家を去っても、なお川北姓を名乗り、 御主人の霊とともに生きる覚悟をした。 血を分けた甥夫婦が、 「叔母ちゃんは楽しい結婚時代もほとんどなく、 一生一人住まいなどあまりに可哀相だ」 と一緒に住んでくれ、その甥の子が孫の如く可愛く、 「とても幸せな千代子です」 と手紙は結んであった。 国のため捨てる命は 惜しからで ただ思わるる 国の行く末 風に散る 花の我が身は いたわねど 心にかかる 日の本の末 |
2024.08.12 |
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