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      次代に輝く住まいを創る

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〒971-8134 福島県いわき市鹿島町飯田字八合22

一語履歴WORD vol.630


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一語履歴 vol.630
すべては自分...~絶望の中...
一語履歴 vol.629
心が通う...~心のチューニング...
一語履歴 vol.628
教育...~言葉...
一語履歴 vol.627
言葉...~耕す...
一語履歴 vol.626
雨が降ったら...~行い...
一語履歴 vol.625
運...~絶対最上...
一語履歴 vol.624
いま試されている...~徳のレンガ...
一語履歴 vol.623
松下幸之助の誠...~当たり前であることの素晴らしさ...
一語履歴 vol.622
愚痴は言わない...~倒れたまま...
一語履歴 vol.621
やししく生きる...~瞽女(ごぜ)...
知的障碍のある長男の誕生、夫の死、ご自身の大病など、
度重なる試練を潜り抜けてきた岸田ひろ実さん。
絶望の中にいた岸田さんを救い、
立ち直らせたものは何だったのでしょうか。


私が倒れたのは、主人が亡くなって2年後でした。
父親を亡くして子供たちも精神的に落ち着かない状態でしたので、
私も1年間は家にいて子供たちのケアをしながら過ごしていました。
1年後、たまたま近くにオープンした整骨院が
受付業務を応募していて、そこで働くようになりました。

一応、完璧主義者というか、家事も子育ても手を抜かない主義でしたので、
気がつけば平均の睡眠は4時間。夜は洗濯と掃除を終えて、
明日のお弁当の準備をして床に就く。
朝は5時半に起きて朝食をつくり、子供たちを送り出して仕事に行く。
そういう生活を続けていたら、やっぱり倒れてしまったんです。
心臓の血管が外から剥がれていく大動脈解離という死の病でした。

助かるには、心臓の血管を丸ごと人工血管に変える大手術が必要でした。
手術をしても命が助かる確率は2割あるかないか。
それを宣告されたのが高校2年の奈美なんですね。
宣告を聞いた奈美は吐いて気を失って、
そのまま病室に運ばれたそうです。

幸い手術は成功しました。
ところが、胸から下に麻痺が残ってしまったんですね。
「命は助かりましたが、
自分の足で歩くことは一生できないので、諦めてください」。
そう言われた時、最初に思ったのは、
病室の外で待ってくれている娘に
この現実をどう説明しようか、ということでした。

娘はいつものように「大丈夫、大丈夫」と明るく言ってくれました。
でも、大丈夫ではないことは私が一番分かっていました。
好きなところにも行けないし、好きな服も着られない。す
べてを失って、人ではなく物になってしまった。そんな気持ちでした。
それ以上に年頃の奈美と障碍のある良太のこれからを思うと、
深い闇に沈んでいくようでしたね。

病気は順調に回復しましたが、
それよりも褥瘡、床ずれのほうが大変でした。
麻痺した部分の血流が悪いので、1度酷くなるとなかなか治らない。
気がつくとどんどん悪化していて、
大手術を2回受けることになりました。

この時は3か月間ずっとベッドに仰向けのまま
自分の意思では顔も動かせない状態でした。
ご飯を食べるのも歯を磨くのも、ずっとベッドの上。
それだけに、ようやく車椅子で外泊の許可が出た時は天に昇るようでしたね。

ある日、娘が車椅子を押して私を街に買い物に連れ出してくれたんです。
目的の店はすぐ目の前なのに
車椅子では遠回りしないと行けないというようなことがいかに多いかを、
この時の外出で初めて実感しました。
それともう1つは人の目線ですね。どこに行っても
「うわぁ、かわいそう」といった目で見られてしまう……。

「車椅子で何とかなると言ったって、何ともならないじゃない」
という感情がワッと込み上げて、
一所懸命に頑張ってきたものが音を立てて崩れるようでした。
それが本当に辛くてレストランに入った時、
「もう無理」と思って初めて娘の前で泣きました。
「こんな状態で生きていくなんて無理だし、
母親として、してあげられることは何もない。
お願いだから、私が死んでも許して」って。

娘は「泣いているだろうな、死なないでって言われるんやろうな」と思って
ふと見たら普通にパスタを食べていました。
そして「知ってる、知ってる。死にたいんやったらいいよ。
一緒に死んであげてもいいよ」と言ったんです。

続けて「でも、逆を考えて。もし私が車椅子になったら、
ママは私のことが嫌いになる? 面倒くさいと思う?」と聞きました。
「思わないよ」「それと一緒。旅行に行きたかったら行けばいいし、
歩けないなら私が手伝ってあげる。
2億パーセント大丈夫だから私の言うことを信じて、
もう少しだけ頑張ってみようか」と言ってくれたんです。
私の生き方や考え方が大きく変わったのはそれからです。
2022/01/13
脳性麻痺のため話すことも
体を動かすことも
思うようにできない堀江菜穂子さん。


私はテレビを見ながら
「面白い」と感想を言おうとしても、
それを話すことができません。
朝起きて寒いと感じても、
それを伝えることができません。

「言いたくても言えないこと」とは、
例えばそのようなことです。
だから、詩は私にとって意思そのものなのです。
自分の詩を誰かに読んでもらおうと
いうようなことは全く考えていません。

思いはすべて自分の心の中のこと。
私が詩に何か思いを込めているとするなら、
それは私の魂の解放、
苦しい自分から逃れることです。

・ ・ ・ ・

たびだちのとき

たくさんのじぶんとたたかってきた/
だいすきなじぶん/だいっきらいなじぶん/
こどもみたいなじぶん/
どれもじぶんであって じぶんではなかった/
わたしというにんげんは/
いったい どれがほんものなのだろう/
じもんじとうのまいにちだった/
いまわたしには こたえらしきものがみえてきた/
それはじかんがおしえてくれた/
いまこのときにおもうのは/
けっきょく すべてはじぶんだったのだと/
じぶんでじぶんをみとめてやったら/
ボロボロとおとをたててくずれていった/
じぶんがつくりあげていただけの じぶんじしん/
ひとりぼっちになったわたしの/
これが たびだちのとき

・ ・ ・ ・ ・

自分の意思を人に伝えることができない時、
あまりの苦しさに私の心は音を立てて割れました。

バラバラになった心は自分のものなのに、
思春期の私にとってそれを認めるのは
とても難しいことでした。

時間が経って、その一つひとつを
認められるようになった時、
すべては自分だと気づいたのです。
2022/01/13

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