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      次代に輝く住まいを創る

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一語履歴WORD vol.163b

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一語履歴 vol.170
お天道様が 170a一つ上の仕事 170b考えの出し方 170c人生はあなたに
一語履歴 vol.169
最高の結果 169a悲しみの底で 169b不思議なるもの 169c負けない言葉
一語履歴 vol.168
あかちゃんポスト 168a呻吟語 168b奇跡 168c自分の力の引き出し方
一語履歴 vol.167
日本史 167a日本 167b精神的修養を積む 167c遠きを慮る
一語履歴 vol.166
天職への道 166a地域再生 166b成功への 166c資料が語る二宮金次郎
一語履歴 vol.165
プロの流儀 165a分身ロボット 165b鬼はいません 165c日本史講座
一語履歴 vol.164
後から来る者たち 164a畫れり 164b成長する 164c高い山を
一語履歴 vol.163
小学に学ぶ 163a帝国ホテルの現場力 163b太陽の下で考える
一語履歴 vol.162
唱道の人 一日は 162a江戸の庶民 162bみてござる
一語履歴 vol.161
おせっかい 161a翼を与える 161b足なし禅師
太陽の下で考える
          岸 朝子(食生活ジャーナリスト)

一世を風靡したテレビ番組『料理の鉄人』の審査員として、
「おいしゅうございます」のひと言で親しまれた
食生活ジャーナリスト・岸朝子さんが 今月22日に91歳で旅立たれました。

戦争が終わると同時に職業軍人だった夫は職を失い、
父の勧めもあって千葉に移り住んで
牡蠣の養殖に携わりました。

――お父様と同じ道を歩まれようとしたと。

でも数年間努力したのですが、
どうしても事業を軌道に乗せることができませんでした。

夫は養殖業に見切りをつけると同時に、
今度は東京に新しい働き口を
見つけて再び引っ越しです。

暮らし向きはかなり厳しくて、
私も何かしなければと考えていたところ、
たまたま主婦の友社の募集広告を妹が見つけてくれたんですよ。

「料理の好きな家庭婦人を求む」とあって、
子供がいてもいいという条件だったので、
これならと思って試験を受けに行きました。

もっともおなかの中にいた五番目の子供が
かなり大きくなっていたので、
いくらなんでも難しいかなと思っていましたけど(笑)。

――どのくらいの応募があったのでしょうか?

300人くらいだったと思います。
試験は書類審査、筆記試験と身体検査、
そして実地試験があって
どんどん振り落とされていきました。

最終的には7名が残って、
そのうちの一人が私だったんです。

嬉しかったですね。

4月に入社してからすぐに出産だったので、
初出勤はその年の8月1日。

思い返せば、この日が50年以上続く
料理記者としての第一歩となりました。

――記者としての力量はどのように
  磨かれたのでしょうか。

素人でしたから最初は苦労しました。

会社の決まり事として
社員全員に日記を書かせていて、
これが大いに役に立ったんです。

退社時に提出すると翌日朱筆で
校正が返ってくるのですが、
特に最初の頃は句読点の打ち方から行がえ、
表現法などの指摘でページが
真っ赤になっていました(笑)。

その繰り返しの中で基本を覚えていきました。

時代は高度成長期にさしかかる頃で、
家庭で手の込んだ料理をつくろうとする主婦や、
花嫁修業で料理学校も大盛況だったため、
カラーの料理本なども本当によく売れました。

だから仕事も次から次へと本当に忙しくて、
料理学校で撮影の仕事がある日なんか、
授業が終わってから始めるものだからほぼ徹夜でしたね。

それが何日か続くともうふらふらで。

――日々体当たりで仕事に臨まれていたと。

体重がガタッと落ちるくらい大変だったけど、
この時期に料理記事の何たるかを学ぶことができましたし、
一流の先生方や優れた調理人との交流によって
料理記者として育ててもらうことができました。

ただ家庭のほうは夫に頼ることが多くて、
申し訳ないような気持ちは常にありましたね。

――そうやって長年第一線で
  活躍し続けてこられたのですね。

そうね、ずっと休むことなく
料理記者として働いてきたわけだけど、
楽しいことばかりじゃなくて、
辛いことも数多くありました。

そんな時いつも私を励ましてくれたのが、

「嫌なことは夜、布団の中で考えないこと。
 太陽の下で考えれば何事も明るくなる」

という(香川)綾先生の言葉でした。

歯を食いしばって一所懸命頑張ってきたから、
いろいろな人に会うことができたし、
仕事のやりがいにも気づくことができたのだと思います。

綾先生は満98歳で亡くなる
直前までお元気でしたので、
私もそれにあやかって、
「おいしく食べて健康長寿」をモットーに、
98歳まで食の大切さを伝え続けていきたいと思います。
 
2015.09.30

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