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      次代に輝く住まいを創る

TEL. 0120-815-711

〒971-8134 福島県いわき市鹿島町飯田字八合22

一語履歴WORD vol.040

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一語履歴 vol.040
並みいる大手家電量販店を抑え...
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100年生きたって僅か3万6500朝...
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素人ばかりだった京大アメフト部を鍛え...
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婦人の心を一変させた赤ちゃん...
一語履歴 vol.031
最も難しく、かつ最も大事なことが...
並み居る大手家電量販店を抑え、
栃木県内のカメラ販売シェア十五年連続トップに立つ
サトーカメラ。

父親の始めた小さな写真店を今日へと導いてきたのが
同社専務の佐藤勝人氏です。
     
来客リピート率80%以上、利益率40%以上

     「想い出をキレイに一生残すために」

           佐藤勝人(サトーカメラ専務)

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ただカメラを売るだけでいいのか?
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私は「栃木で一番の店にする」と公言して、
朝から夜まで店に立って働きました。

当時は、とにかく早く回せ、効率よくやれと、
売ることしか頭になかったですね。

「客なんて面倒くさいだけ。さっさと売ってなんぼや」
と号令をかける。

そんなことで、県内に四百軒あったカメラ店の
最下位からスタートして、
三年間必死に働いて栃木一番店になりました。

平成十二年には県内に十店舗を構えるようになったんです。

私生活では高級外車を乗り回し、
毎晩飲み歩き趣味のスノボやゴルフや
サーフィンもやっていました。

これが若い頃に夢に描いた大人の姿なんだなって思っていた。
当時はそれが楽しいんだけど、
でも、どこか楽しくないんですよね。


商品はどんどん売れていく。
でも、ものが売れればそれだけでいいのかと
いう気持ちが芽生えていました。

それが決定的に変わったのは平成十五年、
十三店舗目にあたる、売り場面積二百坪の宇都宮本店が
オープンした時でした。

ちょうどその頃、うちが主催の写真撮影会があって、
私も顔を出したんです。
そこに七十歳代のおばあちゃんが
一眼レフカメラで写真を撮っている。

そのおばあちゃんが俺のところにまっすぐ来て、
「こんにちは、私のこと憶えている?」と言うんです。

しかし、さっぱり分からない。

「私は十年前にあなたに勧められて
この一眼レフカメラを買ったのよ」

と言われて、まじまじと顔を見ました。

【記者:思い出しましたか?】

いや、そんな昔にカメラを買った
おばあちゃんのことなんて忘れていました。

「六十歳の時に旦那が亡くなって、
 やることもないから毎日パチンコをしてた。
 六十五歳の時、息子に子供が生まれてカメラを買った。

 でも使い方がよく分からないから毎日のようにお店に来て、
 カメラの使い方を教えてもらった」

そこまで聞いて「ああ、あの時の」って思い出しました。
さらにこう話してくれたんです。

「あなたに使い方を教えてもらってから、
 毎日のように楽しく写真を撮って、
 賞もいろいろもらった。

 いま私は七十代だけど、あなたと知り合い、
 カメラを憶えたこの十年間が人生の中で一番幸せだったわ、
 ありがとう」

って。

本当に感動しましたね。
若い頃、人に影響を与えるような人間になりたい、
そんな仕事をしたいと思っていたこともありましたが、
なっていたんです、この仕事を通して。

おばあちゃんのひと言がきっかけで、
これからはきちんとお客さんのことを考えて
カメラを売らなくてはいけないと思うようになりました。

そんな頃ですね、うちの経営方針である
「想い出をキレイに一生残すために」
という言葉が生まれたのは。
 
2013/05/24

「心に残る言葉 ―― 一沈一珠」

         『生きる力になる言葉』(藤尾秀昭・著)より

一沈一珠――。
「いっちんいっしゅ」と読みます。

この言葉は、青森在住の木村将人さんから
教わりました。

木村さんは森信三先生のお弟子さんです。

森先生のご生前中、先生が、
「あなたはこの3人に会いなさい」
といわれたことがありますが、
その中のお一人が木村さんでした。

木村さんは長い間、青森県各地で中学校の教師を
務められた方で実によく子どもたちを指導された方です。

木村さんの教育論を伺っていると、
こういう先生に中学時代に教わった子どもは
幸せだなぁと思います。 

その木村さんが随分前に出版した自著のタイトルが
『一沈一珠』でした。
その本の中で、木村さんがこのようなことを書かれています。

木村さんが大学生の頃のことです。
数日間2人1組でアルバイトをしていた相棒と一緒に
布団を並べて天井を見ながら、
朝まで語り明かしたことがあるそうです。

大学浪人のその相棒は木村さんに、
こんな話をしたといいます。

「自分は母一人子一人の身なのだが、
 きっと大学に入って母を安心させてやりたい。
 そして卒業して仕事について母を楽にさせてやりたい」 

そして、こう続けたといいます。

「自分は小さい頃から、
 一沈一珠という言葉をいつも心の中でかみしめながら、
 頑張ってきた。

 あの海女が、いったん海に潜ったら、
 どんなに息が苦しくなっても、
 一個の真珠貝を見つけ出すまでは決して浮上しない、
 というところから、この言葉はできたらしい。

 自分はいままで何度もつらい思いをしてきたけれど、
 この言葉を思い出し、生きてきた」

一夜、いろんな話をしたはずだが、
覚えているのは、この話だけと木村さんはいっています。

翌日、最後の仕事を終えて給料をもらった木村さんは、
その給料を全額袋のまま、その相棒に渡し、
逃げるように立ち去ったといいます。

木村さんの人柄をそのまま表したような逸話です。

一沈一珠――。
海女は一度深い海に潜ったら、
1つの真珠貝を見つけるまでは、
どんなに苦しくてもあがってこない。

私たちも人生の中で様々な体験をしますが、
どんな体験の中からも必ず1つの真珠貝をみつけ出していく、
そういう生き方をしたいものです。
 
2013/05/20

「ビートたけし氏とお母さんの感動秘話」

         下村博文(文部科学大臣/教育再生担当大臣)

いまの日本には偉人伝というだけで
拒否反応を持つ人がいるんですよ。
それ自体、異常な社会だと思うのですが、
そういう時、私はタレントの北野武さんの話をするんです。

そうすると皆さん「なるほど」と言って
聞いてくださいます。

それは北野さんのお母さんのお話なんですね。

北野さんが芸能界に入って売れるようになった頃、
お母さんから「金をくれ」と言われたというんです。

それからも何かにつけて
法外なお金を要求されたと。

とんでもない親だと思ったけれども、
親には世話になったし
迷惑を掛けたのも事実だから
言われたままに出していたそうです。

そして、お母さんの命がもう何日もないという時に
軽井沢の病院に行った北野さんは
お母さんから一冊の通帳を渡されるんです。

帰りの新幹線の中で
その通帳を見た北野さんはビックリするんですね、

いままで渡していたお金が全額入金されていた。

芸能界は浮き沈みの激しい世界ですから、
お母さんとしては息子が
売れなくなった時のことを考えて、
そっと蓄えておられたのでしょうね。

子供は親孝行したいと思っているけれども、
親が子を思う気持ちはもっと深い。

吉田松陰が「親思う心にまさる親心」
と詠んでいますが、親が亡くなって
「もっと孝行しておくべきだった」
と子供だったら皆思うんじゃないでしょうか。

これは何も国が「親孝行しろ」と言うのとは
違うわけでしょう。

道徳の授業の中でそういう話が
エピソードとして出てくれば、
誰でも素直に皆受け取るはずです。

人が人として生きるために大事なことを学ぶのは、
本当は英語や数学の学力を高めること以上に
必要なことなんですね。
 
2013/05/19

バナースペース

展示場 櫛田建設株式会社

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福島テレビハウジングプラザ内

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